悩んで不安でしかたがないときは

ほとけ・禅・教育

お子さんの発達、成績、進路、将来、、、

次から次へと悩みや不安は尽きませんね。

適度な悩みなら自分を向上させる面で役に立つのでしょう。

しかし一旦悩みの沼にはまると、そこから抜け出す苦労が伴います。

悩みが進むと

「悩んでいる自分がすごい」

「悩んでいないといけない」

こんなふうに悩みに取り憑かれてしまうおそれも生じましょう。

仕事をしていてもプライベートを楽しんでいるときも

悩み、笑顔が消えてゆき、不機嫌のかたまりとなる。

果ては、お子さんや家族、学校の先生や支援者に当たり散らすことにもなりましょう。

こうなってはもうお手上げです。

このような悩みの苦しんでいらっしゃる方にお尋ねするのです。

「悩みというものをここへ持ってきてください。」

物としての悩みを持ってくることは不可能ですよね。

そう。悩みには実態がないのです。

このように考えてゆきますと、私たちは実態のないものに囚われていることがわかるのであります。

自ら悩みの沼にはまっているのです。

お子さんは、お父さんやお母さんが悩んでいる姿を見たいのでしょうか。

自分を愛し、認め、受け止めてくれるお父さんお母さんを望んでいるのではないでしょうか。

「お父さんやお母さんが悩んでいるのはぼくのせいだ、わたしのせいだ」

こんなふうにお子さんがお子さん自身を責めないでしょうか。

ものごとを真っ向から捉えているからこそ悩みが生じるのであります。

だから悩めることはすばらしいことです。

しかし、はまる悩みはよくないのであります。

悩んでいる自分を認め、悩みを一旦流す工夫をしてみませんか。

悩みというとらわれから解き放たれるとどうなるか。

自分とお子さんの本当の姿に気付くことができましょう。

人間が本来持っている愛情、慈しみ、優しさ、得意なことや好きなことに目を向ける余裕が生まれてくる気がしませんか。

悩みがどんどん軽くなると、心の中に感謝という気持ちがが残っていることに気づけることでしょう。

「私の子に生まれてきてくれてありがとう。」

お子さんと向き合って自然と思えるようになることでしょう。

今を不幸だと思えば不幸なのです。しかし、今を幸せだと思えば幸せなのです。

お父さんお母さん、お子さん、そして私と少しだけものの見方を変えるだけ。

不安材料だったお子さんが私たちに幸福をもたらすありがたい存在となることでしょう。

そこからが子育て、教育のはじまりです。

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